目の下に黒い隈を作った女性が床にぐったりと寝ている。焦点が定まらない目で空を見ている。赤ん坊が泣く。女性は一分ほど赤ん坊が泣いた時点で、肘を使ってゆっくりと立ち上がる。よろよろと台所に向かう。粉ミルクをほ乳瓶にいれる。ぬるい水を注いでまたふらふらと赤ん坊のもとに向かう。赤ん坊にほ乳瓶を掴ませると、その場にへたりこみ、横になる。
これは盛夏に水も食べ物も口にしないと陥る状態だ。これは実際にあったことで、しかも2010年代の日本、名古屋での話だ。もっと正確にいうと、この女性は私の妻だ。うちに水や食料が無かったわけではない。妻が食べも飲みもしないと決めた。
なぜそのようなことになったのか。話を続けるとわかる。
私は言う。
「医者に行こう」
妻が言う。
「行こう」
続けて対話はこのように続く。
「医者に行けば、医者は断食が良いことだと言う」
「言うわけないじゃん」
「あなたにはわからない。アラーが私をあなたのところに送ったのにあなたは盲目だ」
このような言葉の応酬が半年の間毎日続いた。バリエーションはある。いや無いかもしれない。応酬はいつも同じ鋳型に入っているからだ。
「実家のご近所の赤ん坊の手にアラーの文字が現れた」
「手の皺がそう見えたんでしょ」
「違う。アラーはそうやって自分の存在をほのめかす。本当は大きな光だけど、賢いから決して自分の姿を明らかにしない」
妻はこのような言葉も繰り返し語った。
「コーランは科学が最近発見したことを予言していた」
「ビッグバンの話を聞いたときに、これだと思った。宇宙の最初に光があったと聞いて、やっぱりと思った。アラーは光だから」
「人間は炭素っていうものからできてるんだって。アラーは人間を土から作った。土も炭素だから、やっぱりコーランは正しい」
妻は理科や生物の教育を受けていない。いや、授業は受けてきたはずだが、学ばなかったらしい。元素の話もわからなければ、分子だの原子だのも何もわからない。日本語力も限られていて、上記の会話も彼女の母国語によるものだ。英語がよくできるわけでもない。ただ信心があり、その信心にお墨付きを与える無数のビデオがユーチューブ上にある。
上述の断食についての会話が繰り返された後、医者に行った。盛夏だったが、妻は完全に頭も体も隠した服装で向かった。名古屋の夏は湿気が高く、非常に蒸し暑い。病院に着いた頃にはそれらの服を通して妻の汗が背中に大きな黒いシミを作っていた。彼女は水も食料も断っているので、病院のロビーにある無料のお茶にも水にも手を伸ばさない。顔は火照っており、汗だくである。それでいて、顔色は悪く、土気色だった。
まず自分の診察をする医者は女性でなければならないとの妻の要望があるので、女医の診察に空きが出るまで待つ。一方で妻は私が必ず診察の場にいなければならないという。その場で医者の「断食は体に良い」という言葉を妻と一緒に聞かなければ私はあとで「医者はそんなことは言っていない」と言いだすに決まっているからだそうである。診察の順番が回ってきた。
「今日はどうしましたか」
「断食は体にいいですか」
「えー…断食が体にいい場合もありますが」
医者が妻の後ろにある診察室入口横の椅子に腰かけた私を見る。
「今宗教的な理由で断食をしていてそれが体に良いかを聞きたいみたいです」
「宗教でしたら私がどうこういう立場ではありませんが…」
から始まり、ものの数十秒で言い合いになった。
「せめて水は飲んでください。断食は基本的に体に負担をかけます」
「でも私気分がいいです!」
「自分が気分がいいと思うことが体に負担をかけないとは限らないですよね。私は熱中症で運び込まれる患者を何十人も診てきました。水を飲まないと危険です」
「でもイスラム教では妊婦や病気の人は断食をしなくてもいいです!」
「ほら、だからそれは断食はやっぱり体に負担をかけるということでしょう?だから妊婦はしなくていいことに…」
「でも私、断食すると気分がいいです!」
女医はいらだちをあらわにして声を荒げた。
「断食は体に悪いです!あとは自分で考えてください!」
おそらく二分にも満たなかった「診察」のあと私たちは診察室を追い出された。
しかし妻が断食の有害性に納得したかというと、そうではなかった。私が
「医者は断食は体に…」
といいかけると、相変わらず顔が汗だらけの(外からは額から顎までの範囲しか見えないが、顔以外も汗だくに違いない)妻は固い表情でこう言った。
「まだ一人の医者にしか訊いていない。だいたい、今の先生は若かった。」