ご隠居が脛を平手で叩く
「今年は蚊が多いな」
蚊を叩こうとして上がり框で八五郎と鉢合わせる
「ご隠居、熊の野郎はカミってもんの言葉を伝えるんですよ」
「ハチ、落ち着きなさい。なんだね藪から棒に」
「熊公が『自分はカミの声を聞いた』って言ってるんでさ」
「はあ。カミというのは何かね」
「カミてな、熊の野郎が言うには世の中を作ったもんでさ」
「はて、儂は母親から生まれたと思うが」
「いやそのカミがおっかさんとおとっつぁんの、まあなんだ、昔々のみんなのもともとのおっかさんとおとっつぁんを作ったんだそうで。へっへっへっ」
「何故作ったのかね」
「知りません」
「はあ。じゃ、どうやって」
「土からつくったんだそうでさ」
「どうやってだい」
「さてねえ」
「この世はつくられたのかね」
「熊はカミにそう言われたんだっていってまさ」
「なぜ作られたんだい」
「さてねえ」
「どうやって作られたんだい」
「さてねえ」
「なんだい、さてさて尽くしだね」
「いや熊公はカミって野郎に聞いたから間違いはねえってんで」
「また随分と信用してしまったな」
「でもご隠居、誰かが作んなきゃ何にもねえでしょう」
「『できた』か『あった』か『作られた』かはどうわかるのかね」
「さてねえ。しかしこの卓袱台も指物屋が作ったんでしょう」
「いかにもそうだな」
「じゃ世の中も作られないと」
「そのカミは誰がつくったんだい」
「さてねえ。熊公もそこまで言わなかったね」
「誰かが作らなければ何も無いのだろう」
「その筈なんですが」
「じゃカミも誰かに作られないといけない道理じゃないか」
「へえ」
「じゃカミは誰が作ったんだい」
「さあてねえ」
「さあてねえじゃないよ。熊はそのカミてえのに聞かなかったのかい」
「そこはあいつは熊だから。ご隠居みたいにどうやってとかは考えねえでしょう」
ご隠居が腕を平手で叩く
「蚊もそのカミが作ったっていうのかい」
「そうなりまさぁ」
「嫌な奴だねそいつは。だいたいそいつはなんで熊にだけ話すんだい」
「さあねえ」
「やれやれ」
「ああ、ご隠居、そのカミの言葉ってのは江戸弁なんだそうですよ」
「なんだいカミはこの辺の奴か。ああ、豆腐屋の辰じゃろう、だいたいあいつは小さい頃からホラ吹きでな」
「いや違うんで」
「違うのか。ああ、じゃあ古物屋の」
「ところがそのカミてえのは江戸っ子じゃねえんだそうです」
「ではどうして江戸弁を使うんだ」
「そこがわかんねえところで。しかし、蚊を作った野郎がわざわざ使おうってんだから江戸弁も偉くなったね。やっぱり歯切れがいいからね」