Historical records show that Shimonoisshiki as a fishing village/town existed as early as the 16th century. It was bombed flat durıng the World War II. Typhoon Vera then devastated it in 1959, effectively ending its status as a major fishing town.
It still has a fish market.




Bulwarks built in 1963 separate the fish market from the rest of Shimonoisshiki.

A bathhouse stands across a street from the market.


Ruinous buildings surround the fish market.




Shops on the high street of Shimonoisshiki look only slightly less ruinous than the buildings in the vicinity of the fish market.
岩屋隆夫 2002「庄内川の治水史を通してみた新川の役割と治水問題」によれば下之一色は干拓地ではない筈だが、多分家の跡地である空き地を見たらこんなだった。
下之一色は干拓地ではないとはいえ、ゼロメートル地帯。下の国土地理院発行の標高地形図で、中央にある西の新川と東の庄内川に挟まれた逆三角形のデルタが下之一色だ。『新修・名古屋市史』によれば、新川は1787年の開削で、庄内川も1768年に分水の工事があり、つまりそれ以前は庄内川が下之一色の西側を流れていて、その旧河道の一部が新川になったのだそう。
下之一色を囲む土手は標高が少し高く、緑がかった着色から1m以上であることがわかる。実際、土手から見ると町はやや下にある。
下之一色には名古屋では珍しく、車に優しくない狭い路地が多く、静か。
お好み焼き屋で子供に焼きそばを食べさせた。具はキャベツのみで250円。
路花という喫茶店に入った。ものすごく急な階段を上って昼なお暗い店内に高齢のマスターと近所の人らしい更に高齢の客がこてこての名古屋弁でだべっていた。この喫茶店は『金の名古屋―最強で最高のセンセーショナルタウン』で紹介されている。
下之一色から東海道に出る道の真ん中に鎮座する祠。
『明治・大正・昭和 名古屋地図さんぽ』によれば1969年まではこの祠の後ろを走る東海道を下之一色線という市電も通っていたそう。