Simpler Syntaxのprefaceに書いてあるのがこれ。
… Simpler Syntax leads to a vision of the language faculty that better facilitates the integration of linguistic theory with concerns of processing, acquisition, and biological evolution.
Our discussion is mainly focused on English. This happens to be the style of investigation with which we feel most comfortable, and besides, we think there are still lots of interesting things about English that the lore has not recognized. This does not mean that we think linguistics can be studied in the context of English alone, only that we think others can do other languages better.
この引用部がlinguistsを名乗る人々の知性的水準を示していると言ったら言い過ぎか、というと、ブログ主の経験上、多分言い過ぎではない。
上記を日本語にうまく要約できるかどうか試してみたい。
(前略)『Simpler Syntax』は、処理、獲得、生物学的進化の関心事と言語理論とのより良い統合を促す洞察に通じる。
我々の論考は主に英語に集中している。これはたまたま我々にとって楽な分析の仕方であり、それに我々は英語に関する、学知が認識していない多くの興味深い事柄があると考えている。これは我々が言語学が英語の文脈のみで研究されうると考えていることを意味せず、我々が他の人々が他の言語についてよりよく扱えることと考えていることのみを意味する。
これを読んでフツーに「英語について何らかの知見が得られたとして、そのヒト言語一般への適用可能性はどう担保されるのか」というフツーの疑問を持たない人は、言語学に身を投じるべきだと思う。実際にそういう人は多くいる。
「著者たちに楽な分析であることや、英語に関する(著者たちにとって)興味深い事柄が存在する」ことが、ヒト言語に関する一般的な言明をするつもりの研究での論考が英語に集中する理由として妥当性があるのかなとフツーに疑問を持つ人は、言語学向けではない。
上述したような疑問を持てるのに、何かの理由で肩書が「言語学者」である人達もいる。ただしはっきりいって少ない。そしてそのような人達は言語学の世界では決して大家だったり権威だったりはしない。