英語で書くと伝わらない気がする内容の文章 This blog post is written in a LOTE for a reason

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ドイツの社会学者アーノルド・ゲーレンという人にはこういう持論があるそうだ(池井望「二種類の「知る」行動」-哲学的人類学から見た「認識」-『世界思想』40号22-25頁)。

人間は「言葉によって世界を認識する例外の動物である」

『月刊言語』掲載のチョムスキーのインタビューにはこんなくだりがある(『月刊言語』13巻10号102-115頁「生成文法の企て(2)」)。

明らかに人間は他のどんな生命体とも著しく違っています。このことには疑問をさしはさむ余地は全然ないと思いますね。例えば、すぐにわかることをとって言うと、人間は歴史を持っている唯一の生き物なんですね。歴史という観念そのものが他の生命体には存在しない。すなわち、ごくつまらない例外を除いては、生物学的変化以外のいかなる変化も存在しない。でも人間に関してはこれは全く当てはまらない。

なにをもって「著しく違って」いることにするのかについて、多分普遍的な合意は無い。どんな「例外」を「ごくつまらない」と見なすことにするかについても、多分普遍的な合意は無い。

よって、あらゆる種について上掲のものに似た言明はすることができる。なぜなら、あらゆる種は他の種と違っているという理由で種とされているからである。

例えば、Scarabaeus zambesianus(いわゆるフンコロガシの一種;以下「糞虫」)についても以下のような言明をすることができる。

糞虫は「月の偏光によって世界を認識する例外の動物である」

明らかに糞虫は他のどんな生命体とも著しく違っています。このことには疑問をさしはさむ余地は全然ないと思いますね。例えば、すぐにわかることをとって言うと、糞虫は月の偏光を視る唯一の生き物なんですね。月の偏光という観念そのものが他の生命体には存在しない。すなわち、ごくつまらない例外を除いては、太陽(の偏)光以外のいかなる光も存在しない。でも糞虫に関してはこれは全く当てはまらない。

オカダンゴムシについても、ヤマコウモリについても、ハシボソガラスについても、似たような言明は作れる。

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